長持ちマンション

同潤会アパ―トという名前を聞いたことがあるだろうか。大正時代末期、関東大震災が東京圏を襲ったとき、復興住宅として建設された、当時は珍しい鉄筋コンクリートの集合住宅である。東京都内各地に建てられた。
これがマンションの草分け的な建築物と言われ、最近まで残存していた。建て替えられた中で一番有名なのが、安藤忠雄氏の設計としても知られる、原宿の「表参道ヒルズ」だ。
マンションと言っても、当時は賃貸である。財団法人同潤会が建設したので、「同潤会〇〇アパート」とネーミングされた。同潤会江戸川アパート、同潤会代官山アパート、同潤会青山アパートといった名称である。
賃貸住宅であったが、その後は払い下げられて、持ち主が移った。同潤会は解散して、今はない。
払い下げは、今風に言えば分譲だが、中古マンションとして売られたことになる。分譲マンションが日本で最初に登場したのは、昭和33年のことで、第1号は新宿区の「四谷コーポラス」か、川崎の「小杉アパート」だと言われるが、同潤会アパートは、それよりもはるか昔に民間の手によって建設されたことになるのだ。
最古の同潤会アパートは約80年の間、使用され続けてきたのである。つまり、鉄筋コンクリートの住宅は、結構丈夫で長持ちするとも言えるし、寺社建築などの例と比較したら、なんだそれしか寿命がないのかという見方もできる。
建物の用途や、どれだけ建築にお金をかけたか、メンテナンスをどのようにしてきたか、といったことによって寿命の長さが判断されるべきであるから、一概には結論が出せない。
ここで言いたいのは、住居としての寿命がどのような要因で変化するかという点である。
原宿の、今はない「同潤会青山アパート(現、表参道ヒルズ)」の建て替え前の姿をご覧になったことがあるだろうか。確か4階建の建物だったと記憶するが、住んでいる人はなく、すべて(?)店舗として使われていた。ジーンズショップや、婦人物のブティック、輸入雑貨の店などが、まるで森の中に隠れて商売を営んでいるという風情であった。別世界の趣を感じたのは、私だけではないと思う。
これが、かつてアパートだったことは形状から十分想像できたが、住宅として使用していくことは既に無理な状態であった。コンクリートの箱として見れば、まだまだ使用できるが、設備がなにしろ不足している。テレビのない時代に建てられたから、当然、共同視聴アンテナがない。個別ばらばらにアンテナを買って来て取り付けるしかない。エレベーターもない。戦後の集合住宅でも、5階までエレベーターのないものが多数見られるが、やはり不便である。電気の容量も足らないから、しょっちゅうショートしていたに違いない。
20数年前の比較的新しいマンションでも、BS放送が見られないものがある。そのようなマンションでは、個別勝手にパラボラアンテナを調達してきてバルコニーに取り付けて放送を楽しんでいるが、美観はよろしいとは言い難い。
これらの事実を見ると、マンションの寿命はコンクリートの頑丈さなどではないことが分かる。メンテナンスも勿論重要であり、新しい設備に対応していくことも必要になる。これは、管理会社の仕事ではない。分譲する会社が、このことを認識しているかどうかが大事になる。
分譲会社は、販売してしまえば終わりと考える一面があるが、そうでないことを強く意識して設計に当たる分譲会社でありたいものだ。
購入者においては、自分が住んでいる間の問題ではないと考えてはいけない。技術革新の波が、今後どのようにやって来るか分からないからだ。快適に住めるマンションであり続けるために、マンション業者の姿勢や設計ポリシーに注目して選択することが大切であろう。
今日はここまでです。有難うございました。   三井健太

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